パリに行きたい その4
前回からのつづき
就職試験は
筆記、パターン、面接。
まずは 筆記。
パターンも5分の1サイズで
筆記の最後にパターンを書くようになってる。
始まって 3問目くらいまでは記憶がある。
「大丈夫ですか?」
人事のおじさんに肩を揺すられ………
目がさめたっ!
がぁーん!
あと3分!
うそでしょーっ!
うそだと言って!
なんでもっと早く起こしてくれなかったの?
ぐらぐらする頭は思考停止。
終わった…涙…
お昼休みの後は面接。
あいうえお順なので 山田 は最後に近い。
応接室みたいな待合室。
みんな神妙…しーん…
「山田さんっ」
はっ!
ここはどこ?
し、しまった!
また、寝てた。
しかもソファに横になってる。
ちゃんと座ってたはず。
一体いつの間に
しかも 誰もいない!
さっきのおじさんだけが目の前、いや上に。
よたよたと 荷物抱えて面接室へ。
すでに始まってるし!
あ、あのあの…
「山田さん? 向こうから三番目の椅子ね」
わかります!
そこだけ空いてるから。
くしゃくしゃの頭のまま自己紹介して
持参した作品のプレゼンして
とにかく終わった。
きっと学校で明日
怒られるだろーなー
ま、しかたない。
明日は朝から授業だから
早く帰って寝よう!
新幹線に乗って 座る。
はっと気付いたら
名古屋のホームが後ろに流れていく。
あー
あー
…京都に着いた。
折り返しの新幹線はもうない。
京都駅前の 裸電球が泣ける旅館に泊まった。
またま続く…
話は変わりますが
今日バス通りのいちょうの木が枝うちされてた。
これから真っ黄色になって バスからの眺めも楽しくなる ってとこなのに。
そりゃ 通り沿いの方は毎日落ち葉掃除が大変だとわかる。
だったらボランティア募集するか
税金でバイト雇うかして
落ち葉掃除したらいい。
これからが楽しみないちょうを
何の木かわからないくらい丸坊主に枝落とすなんて。
プラタナスの紅葉を楽しむパリの街を思う。
就職試験は
筆記、パターン、面接。
まずは 筆記。
パターンも5分の1サイズで
筆記の最後にパターンを書くようになってる。
始まって 3問目くらいまでは記憶がある。
「大丈夫ですか?」
人事のおじさんに肩を揺すられ………
目がさめたっ!
がぁーん!
あと3分!
うそでしょーっ!
うそだと言って!
なんでもっと早く起こしてくれなかったの?
ぐらぐらする頭は思考停止。
終わった…涙…
お昼休みの後は面接。
あいうえお順なので 山田 は最後に近い。
応接室みたいな待合室。
みんな神妙…しーん…
「山田さんっ」
はっ!
ここはどこ?
し、しまった!
また、寝てた。
しかもソファに横になってる。
ちゃんと座ってたはず。
一体いつの間に
しかも 誰もいない!
さっきのおじさんだけが目の前、いや上に。
よたよたと 荷物抱えて面接室へ。
すでに始まってるし!
あ、あのあの…
「山田さん? 向こうから三番目の椅子ね」
わかります!
そこだけ空いてるから。
くしゃくしゃの頭のまま自己紹介して
持参した作品のプレゼンして
とにかく終わった。
きっと学校で明日
怒られるだろーなー
ま、しかたない。
明日は朝から授業だから
早く帰って寝よう!
新幹線に乗って 座る。
はっと気付いたら
名古屋のホームが後ろに流れていく。
あー
あー
…京都に着いた。
折り返しの新幹線はもうない。
京都駅前の 裸電球が泣ける旅館に泊まった。
またま続く…
話は変わりますが
今日バス通りのいちょうの木が枝うちされてた。
これから真っ黄色になって バスからの眺めも楽しくなる ってとこなのに。
そりゃ 通り沿いの方は毎日落ち葉掃除が大変だとわかる。
だったらボランティア募集するか
税金でバイト雇うかして
落ち葉掃除したらいい。
これからが楽しみないちょうを
何の木かわからないくらい丸坊主に枝落とすなんて。
プラタナスの紅葉を楽しむパリの街を思う。
パリに行きたい その3
前回からの続き・・・
そんなわけで モード学園に通い始めたのはいいけど
まさに毎日がショックの連続!
まず最初の2年間は 洋裁 を徹底的にやる。
は?洋裁??
糸と針でちくちく・・・なんて
女子供のやるものだ、と思い込んでいた。(女だけど)
高校でも家庭科は選択科目だったのでやってない。
しかも、まさか!と言うほどの手先が不器用!涙!
高校までそこそこの成績だったので
『できない』という挫折を初めて味わう。
とにかく『できない』
先生からも
『あんたみたいに不器用な生徒は初めてだ』と言われ がぁ〜〜〜ん!
最初のスカートは完成しないまま時間切れで次!ブラウス。
忘れもしない 黒のシフォンなどに挑戦したもんだから
まったくぅ〜〜〜〜〜涙〜涙〜涙〜〜
裁断すらまともにできない。
結局出来上がらなかった。。。。。どぼーん。。。
この出だしの挫折で一念発起!
一つの課題に3着作る!
しかもお金を頂いて 人様のものを作る!
両親が縫製工場をやっている友人からミシンをもらったのもよかった。
なにしろドイツ製の工業ミシン。
シフォンだってベルベットだってがんがん縫えちゃう!
目にも留まらぬスピードだから うっかりすると指まで縫いそう!
このミシンを使いこなせるようにひたすら練習して
人様のものを縫うようになった。
さらに2年目には
洋裁科とデザイン科を掛け持ちして
4年かかるところを3年で卒業しようと 毎日必死!
課題の山にひーひーいいながら
目を充血させてすごい荷物を持って毎日毎日・・・
あんなにがんばった、がんばれたのって一体何?ってくらいがんばってた。
茶碗と箸持ったまま寝てた、なんてこともしょっちゅう。
モード学園では 毎年 学長賞 なるものを頂いて
颯爽と卒業していよいよ新米デザイナーとして就職だ。
さて、
入社試験には自分で作ったものを着てくること。
という規定があった。
卒業制作・コンテストの作品制作、その上面接用の自分の服・面接用の企画書・・・
一気にそれだけの制作物を抱えて
毎晩寝ないでひたすらミシン・デッサン・ミシン・デッサン・・・・
入社試験の会場に向かう新幹線の中で
スカートの裾上げをして、ボタンをつけ
着いたビジネスホテルの部屋で 面接用の企画書の仕上げをして
3日間 一睡もしないで 入社試験会場に出向いた。
またまた続く・・・・
そんなわけで モード学園に通い始めたのはいいけど
まさに毎日がショックの連続!
まず最初の2年間は 洋裁 を徹底的にやる。
は?洋裁??
糸と針でちくちく・・・なんて
女子供のやるものだ、と思い込んでいた。(女だけど)
高校でも家庭科は選択科目だったのでやってない。
しかも、まさか!と言うほどの手先が不器用!涙!
高校までそこそこの成績だったので
『できない』という挫折を初めて味わう。
とにかく『できない』
先生からも
『あんたみたいに不器用な生徒は初めてだ』と言われ がぁ〜〜〜ん!
最初のスカートは完成しないまま時間切れで次!ブラウス。
忘れもしない 黒のシフォンなどに挑戦したもんだから
まったくぅ〜〜〜〜〜涙〜涙〜涙〜〜
裁断すらまともにできない。
結局出来上がらなかった。。。。。どぼーん。。。
この出だしの挫折で一念発起!
一つの課題に3着作る!
しかもお金を頂いて 人様のものを作る!
両親が縫製工場をやっている友人からミシンをもらったのもよかった。
なにしろドイツ製の工業ミシン。
シフォンだってベルベットだってがんがん縫えちゃう!
目にも留まらぬスピードだから うっかりすると指まで縫いそう!
このミシンを使いこなせるようにひたすら練習して
人様のものを縫うようになった。
さらに2年目には
洋裁科とデザイン科を掛け持ちして
4年かかるところを3年で卒業しようと 毎日必死!
課題の山にひーひーいいながら
目を充血させてすごい荷物を持って毎日毎日・・・
あんなにがんばった、がんばれたのって一体何?ってくらいがんばってた。
茶碗と箸持ったまま寝てた、なんてこともしょっちゅう。
モード学園では 毎年 学長賞 なるものを頂いて
颯爽と卒業していよいよ新米デザイナーとして就職だ。
さて、
入社試験には自分で作ったものを着てくること。
という規定があった。
卒業制作・コンテストの作品制作、その上面接用の自分の服・面接用の企画書・・・
一気にそれだけの制作物を抱えて
毎晩寝ないでひたすらミシン・デッサン・ミシン・デッサン・・・・
入社試験の会場に向かう新幹線の中で
スカートの裾上げをして、ボタンをつけ
着いたビジネスホテルの部屋で 面接用の企画書の仕上げをして
3日間 一睡もしないで 入社試験会場に出向いた。
またまた続く・・・・
パリに行きたい「その2」
パリへの思いをしばらくシリーズしまーす。
初めてのヨーロッパ旅行から帰って
三日間眠り続けた。
目がさめて すぐに行ったのは、夏休み中の大学。
退学届けを出した。
そう!
初めてのヨーロッパは私の人生を変えた。
大学は社会学だったけど
好きなジャンルだったはずなんだけど
実にかったるい毎日だった。
親の許した学校はいわゆるお嬢様学校。
当時、私が行きたかっ所は全く許してもらえなかった。
ま、赤旗新聞読んだりしてたからアブナイと思ってたのかも。
だけど結局毎日がやってられない。
周りと噛み合わない。
そりゃそーだ。
「ねぇ、ゴールデンウィークにみんなでハワイ行かない?
パパが、うちの別荘使っていいって。」
「免許とれたお祝いにパパがBMW買ってくれたの。」
はぁーっ?
こんな学友たちだったんだから。
講義もだるい。
ばかばっかじゃん!
このまま、とろけるような毎日で
卒業して、花嫁修業して
見合い結婚して…
そんなものなのか…
実際、当時私の親戚はそんな感じだった。
それがだっ!
それが パリでばぁーん!目がさめた。
服作ろう!
こんなことしてる場合じゃないっ!
突然 スイッチが入っちゃった!
大学に退学届けを出して、次にモード学園に入学手続きしてきた。
帰宅して事後報告。
大学の授業料でモード学園に行かせて下さい。
頭下げた。
父は おもしれーがや!と笑い
母は 高卒だよ、とかなんとかわめき散らし寝込んだ。
こうして私のデザイナーになるべく毎日が始まった。
続く…
初めてのヨーロッパ旅行から帰って
三日間眠り続けた。
目がさめて すぐに行ったのは、夏休み中の大学。
退学届けを出した。
そう!
初めてのヨーロッパは私の人生を変えた。
大学は社会学だったけど
好きなジャンルだったはずなんだけど
実にかったるい毎日だった。
親の許した学校はいわゆるお嬢様学校。
当時、私が行きたかっ所は全く許してもらえなかった。
ま、赤旗新聞読んだりしてたからアブナイと思ってたのかも。
だけど結局毎日がやってられない。
周りと噛み合わない。
そりゃそーだ。
「ねぇ、ゴールデンウィークにみんなでハワイ行かない?
パパが、うちの別荘使っていいって。」
「免許とれたお祝いにパパがBMW買ってくれたの。」
はぁーっ?
こんな学友たちだったんだから。
講義もだるい。
ばかばっかじゃん!
このまま、とろけるような毎日で
卒業して、花嫁修業して
見合い結婚して…
そんなものなのか…
実際、当時私の親戚はそんな感じだった。
それがだっ!
それが パリでばぁーん!目がさめた。
服作ろう!
こんなことしてる場合じゃないっ!
突然 スイッチが入っちゃった!
大学に退学届けを出して、次にモード学園に入学手続きしてきた。
帰宅して事後報告。
大学の授業料でモード学園に行かせて下さい。
頭下げた。
父は おもしれーがや!と笑い
母は 高卒だよ、とかなんとかわめき散らし寝込んだ。
こうして私のデザイナーになるべく毎日が始まった。
続く…
パリに行きたい♪
突然思い出した。
生まれて初めて海外旅行に行った時のこと。
大学1年の夏休み
小学校の時からずーーーっと続けてた郵便貯金を全額下ろして
ヨーロッパに行った。
『若いうちにヨーロッパの文化に触れてこなくちゃだめだ。』
という父のすすめで。
当時は今みたいにテレビなどでヨーロッパの風景など見たこともなく
何にも下調べもしないでいきなり旅立った。
私の知ってるパリは
『ユトリロ』の描くモンマルトルだけ。
中学高校の6年間、美術部でユトリロの模写ばかりをしてたので
ユトリロの絵は暗記(っていうの?)してた。
そう、絵画でしかその風景は知らなかった。
当時はまだ成田空港は存在してなくて羽田から。
最初に降り立ったのは アンカレッジ経由でフランス・オルリー空港。
まだシャルルドゴール空港も存在してなかった。
そして、早朝のパリに着いた。
今でもはっきり覚えてる。
あの空気のにおい・肌触り。
日本とはまったく違う あの空気の手触り。
その後も何度かパリには行ったけど
あの最初の 空港から1歩出た瞬間の感動はあの時だけのもの。
真っ先に行きたかったのはもちろん
モンマルトル。
一人で出かけてみた。
地下鉄の駅から だらだらと坂を上ってサクレクール寺院を目指す。
あーーーーーユトリロの絵そのままだ〜っ!
道がいきなり階段になる。
階段を下りる。
角を曲がる。
ユトリロの絵そのままの世界が現存してる。
絵に描かれた家をそのままの角度から見てみる。
泣けたなぁ〜〜〜
自然と気付いたら涙があふれてた。
エッフェル塔や凱旋門なんて 写真ですら見たこともなかったけど
私にとってはそういった建造物より
名もないただの道、路地裏・・・
そこらじゅうをただただ目的もなく歩くのが何より好き。
その街の空気を体中にしみこませて。
この先 2度とパリに行かないなんて考えただけでもぞっとする。
ぜったい行きたい!!
この10年、パリという街のことをすっかり失念してた。
それがいきなり 頭の中にパリが登場して 離れない。

セーヌ川のほとりで・・・わたし18歳。
生まれて初めて海外旅行に行った時のこと。
大学1年の夏休み
小学校の時からずーーーっと続けてた郵便貯金を全額下ろして
ヨーロッパに行った。
『若いうちにヨーロッパの文化に触れてこなくちゃだめだ。』
という父のすすめで。
当時は今みたいにテレビなどでヨーロッパの風景など見たこともなく
何にも下調べもしないでいきなり旅立った。
私の知ってるパリは
『ユトリロ』の描くモンマルトルだけ。
中学高校の6年間、美術部でユトリロの模写ばかりをしてたので
ユトリロの絵は暗記(っていうの?)してた。
そう、絵画でしかその風景は知らなかった。
当時はまだ成田空港は存在してなくて羽田から。
最初に降り立ったのは アンカレッジ経由でフランス・オルリー空港。
まだシャルルドゴール空港も存在してなかった。
そして、早朝のパリに着いた。
今でもはっきり覚えてる。
あの空気のにおい・肌触り。
日本とはまったく違う あの空気の手触り。
その後も何度かパリには行ったけど
あの最初の 空港から1歩出た瞬間の感動はあの時だけのもの。
真っ先に行きたかったのはもちろん
モンマルトル。
一人で出かけてみた。
地下鉄の駅から だらだらと坂を上ってサクレクール寺院を目指す。
あーーーーーユトリロの絵そのままだ〜っ!
道がいきなり階段になる。
階段を下りる。
角を曲がる。
ユトリロの絵そのままの世界が現存してる。
絵に描かれた家をそのままの角度から見てみる。
泣けたなぁ〜〜〜
自然と気付いたら涙があふれてた。
エッフェル塔や凱旋門なんて 写真ですら見たこともなかったけど
私にとってはそういった建造物より
名もないただの道、路地裏・・・
そこらじゅうをただただ目的もなく歩くのが何より好き。
その街の空気を体中にしみこませて。
この先 2度とパリに行かないなんて考えただけでもぞっとする。
ぜったい行きたい!!
この10年、パリという街のことをすっかり失念してた。
それがいきなり 頭の中にパリが登場して 離れない。

セーヌ川のほとりで・・・わたし18歳。










